震源地:京都府南部. 平安の色彩が蘇った平等院を見に行きませんか?見渡す限りツツジが咲く三室戸寺からガイドします!, どこに行くか分からないガイドツアー!ルーレットを回して京都の碁盤の目を練り歩きましょう!. 京都府で発生した震度5弱以上の強い地震を、気象庁のデータを活用し年代別に集計しました。日本は地震大国であり、同じ場所で同じ大きさの地震が繰り返し起こるとも言われています。 This blog is kept spam free by WP-SpamFree. 北海道・東北地方で20世紀以降に発生した大地震の一覧です。 揺れと津波で多大な被害を及ぼした東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)が記憶に新しいですが、この地方は他の各地方と比べても大地震が発生する回数が断然多いです。地震も津波も日頃から十分に気をつける必要があります。 M3.3 最大震度:2. 地震と大津波による大災害は、日本の歴史上では、日常茶飯事だったのですね。 参考までに、首都圏地域で、過去発生した地震もピックアップしてみました。 818年 北関東で地震 - m7.9、死者多数。 878年10月28日 相模・武蔵地震 - m7.4、死者多数 M3.0 最大震度:1. 大地震が京都を; なぜ?なに?京都の地震; 京都市第3次地震被害想定; 南海トラフ巨大地震について; 京都市の原子力防災(パンフレット) 京都市地域防災計画 原子力災害対策編(概要版) 原子力防災の手引き 「防災危機管理に関する協定」の締結状況   【 京都府に被害を及ぼした主な地震 】  【 リンク 】, 地震調査研究推進本部事務局 発生時刻:2020年10月06日 08時33分頃. 戦後の主だったものだけをみても、平和池水害(昭和26年)、南山城水害(昭和28年)、伊勢湾台風(昭和34年)、第2室戸台風(昭和36年)など、多くの災害に見舞われてきました。 京都府における海溝型地震としてもっとも大きな影響を与えているのは南海トラフ地震です。 津波による被害は可能性が低いものの、府内の中南部を中心に最大で震度6強の強い揺れと液状化の現象をもたらし、多数の被害が発生するおそれがあります。 © 2021 京都旅屋 ~気象予報士の観光ガイド・京都散策~. 「東京オリンピックが行われる2020年ころ、極めて高い確率で首都直下地震が起きることが想定されます」 こう語るのは京都大学大学院人間・環境学研究科の鎌田浩毅教授。京大屈指の人気を誇る講義に潜入した。 震源地:京都府南部. 発生時刻:2020年11月26日 13時56分頃. このような比較的規模の小さい地震でも、局所的に被害が生じたことがあります。. 震央分布図 2021年02月08日17:00現在. 震度1以上を観測した地震の震央を地図上に表示。どこで地震が頻発しているかを見ることができます。 過去の歴史を紐とけば、京都も決して地震とは無縁の都市ではありません。避難所は確認していますか?水や食料は用意されていますか?懐中電灯はすぐに取り出せる場所にありますか?家具は固定されていますか?靴もいります!眼鏡もいります! 震源地:京都府南部. 京都府で最も被害が大きいのは,地震が陸側で起きるパターンで風の強い冬の夕方となっています。 家屋被害の内容について,もう少し詳しく見てみましょう。京都府の家屋被害(全壊棟数)の一部を抜粋したものが次の表です。  京都盆地・亀岡盆地や、木津川・宇治川流域に沿った地域では地盤がやや軟弱なため、周辺より揺れが強くなる可能性があります。 パンフレットやこども向けのキッズページなど、防災・減災に広く活用いただくための資料を集めています, 地震調査研究に関する国の予算や地震本部でこれまでとりまとめた報告書を掲載しています, 文部科学省がすすめている研究プロジェクトなどの報告書や、関係機関の調査観測データベースへのリンクを掲載しています, 京都府とその周辺の主な被害地震(図をクリックすると拡大表示) 阪神淡路大震災の恐怖に目覚めて調べてみると、京都には過去、幾度もの大地震があった。 古くは平安時代、白河にあった法勝寺の幻の塔が滅びたのも、秀吉の伏見城が崩壊したのも、江戸時代に二条城から本丸が消えたのも、京都を襲った大地震が原因。 京都市民間社会福祉施設等耐震化計画 (2016年8月12日) 地震・雨量情報が表示されない場合について (2015年11月26日) 京都市第3次地震被害想定 (2014年6月17日) 京都市の主な災害対策の窓口 (2014年1月24日) なぜ?なに?京都の地震 (2013年5月2日) 1830年8月19日、京都府丸岡市付近を震源とするマグニチュード6.5前後の地震が発生しました。震度など詳しいことは分かっていませんが、被害の状況からかなり強い揺れがあったとみられています。 被害  京都府の主要な活断層は、滋賀県境付近から奈良県境付近にかけて三方・花折断層帯と京都盆地−奈良盆地断層帯南部(奈良盆地東縁断層帯)が延びています。南東部には、三重県・滋賀県から延びる木津川断層帯が、南部には兵庫県・大阪府から延びる有馬−高槻断層帯と、それに直交するように大阪府・奈良県の県境付近から延びる生駒断層帯があります。中央部の丹波高地の西部から京都盆地西縁にかけては三峠・京都西山断層帯が、北部には山田断層帯が延びています。 All rights reserved. M3.1 最大震度:2. 京都を襲った大地震は平安時代から記録が残ります。827年8月の大地震(月日は現代の暦に換算)では家屋が多く潰れ、余震は翌年6月まで続きました。887年の大地震は南海トラフに伴うもので、五畿七道で津波被害が発生し、京都では圧死者が多数生じました。 (文部科学省研究開発局地震・防災研究課). Copyright© The Headquarters for Earthquake Research Promotion, All Rights Reserved. 京都府周辺の活断層と歴史地震・古地震 ―51― 2005年11月号 第3図 有馬-高槻構造線活断層系上に位置する今城塚古墳(a)と現在の状況(b).伏見地震により地すべりを起こして, 紀伊・京都の地震 m7以上 津波 熊野・那智の寺院破壊。津波があり、民家流失。京都で禁中の築地所々破損した。 1596年9月5日 (慶長元年閏7月13日) 畿内の地震 m7.5 京都では三条より伏見の間での被害が最も多く、伏見城天守大破、石垣崩れて圧死約500。  1185年(M7.4)の近江の地震、「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」(M7.3)のように周辺地域の浅い場所で発生する地震や、1952年の吉野地震(M6.7、深さ約60km)のように沈み込んだフィリピン海プレート内で発生する地震、南海トラフ沿いで発生する巨大地震によっても京都府内で被害が生じたことがあります。さらに、京都府の北部は日本海に面しており、「昭和58年(1983年)日本海中部地震」(M7.7)など日本海東縁部で発生する地震によって、津波による被害を受けたことがあります。 東日本大震災から3年が経ちました。今回のブログでは、過去に京都を襲った大地震について書いてみます。, もう3年、まだ3年、様々な思いがよぎります。衝撃的な出来事でした。当時、既に災害について個人的に様々に学んでいたものの、いざ起こってしまうと、ショックでなりませんでした。いくつかの偶然があって、地震から12日後に東北に入る機会があり、津波によって大きな被害を受けた、気仙沼、南三陸、陸前高田、志津川、石巻など、各地の様子を目にしてきました。一緒に行った父と立ちつくすことも何度もありました。, 見て来たことを忘れないよう、当時長文の手記を書いていました。そのほんの一部を引用します。「途中、本吉に差し掛かる辺りから突如津波被害の光景が広がりました。それまでは本当に普通の道だったのに、突然何もかもが破壊された景色に変わりました。流された車、家、破壊された丈夫な建物、散乱する人工物、土煙…そこがもとどんな場所だったかを想像するのが難しい光景です。道路は、アスファルトは流されていますが、なんとか通れました。おそらく道を優先して復旧し、通れるようにしたのだと思います。気仙沼は電気は来ておらず、信号は止まりトンネルも真っ暗でした。途中にはJRの線路が流されて無残に曲がっている場所もありました。ガソリンスタンドには500m以上の長蛇の列ができていました。後で聞いた話では、この日、震災後初めて気仙沼のスタンドが開いたそうです。中には足こぎ式のポンプでスタンドの地下から汲みだす姿もありました。別のセルフのスタンドは閉まったままでしたが多くの車が並んでいました。でも、帰るときには朝と変わらず閉まったまま。ここは開かなかったようです… 」, 昨年のブログでは「直下型地震」について過去の事例を元に学べることを書きました。今年は、過去に京都を襲った大地震について書いてみようと思います。京都にいると「京都は地震が起こらない(から大丈夫)」という話を、驚くほど多くの人が口にします。しかし、それは誤りです。たまたま近年大きな地震に見舞われていないだけで、歴史を紐とけば数々の大地震に襲われた記録が残っています。全国的に見ても、京都ほど長く細かく地震の様子が残されている都市は稀です。にもかかわらず、過去から学べる知見を多くの市民が知ることなく「地震は起こらない」と思っていることは、非常に残念なことです。過去を知ることで、現実感を持って防災への意識を高め、いざという時に備えて頂きたいと願っています。「知っていれば防げる不幸」があるはずです。, 京都を襲った大地震は平安時代から記録が残ります。827年8月の大地震(月日は現代の暦に換算)では家屋が多く潰れ、余震は翌年6月まで続きました。887年の大地震は南海トラフに伴うもので、五畿七道で津波被害が発生し、京都では圧死者が多数生じました。938年の天慶の大地震では、宮中で4名が亡くなり、寺にも多くの被害が発生しました。その約40年後、976年の大地震では家屋の全壊が相次ぎ、50名以上が亡くなりました。, 平家が滅亡した1185年にも大地震が襲いました(文治地震・元暦の大地震)。平家が寄進した大寺院はことごとく倒壊し、人々は世の無常を嘆きました。地震直後は普段でも驚くような揺れが1日に20~30回、10日ほど過ぎてようやく減りだしましたが、収まるまで約3カ月ほどかかりました。実はこの地震の様子は、鴨長明の「方丈記」に詳しく書かれていますので、以下引用してみます。, 「山はくづれて、河を埋(うづ)み、海は傾(かた)ぶきて、陸地(くがち)をひたせり。土裂(さ)けて、水涌き出(い)で、巌(いわお)割れて、谷にまろび(ころげ)入る。 (中略) 塵灰(ちりはい)立ちのぼりて、盛りなる煙のごとし。地の動き、家のやぶるる音、雷(いかづち)にことならず。家の内にをれば、たちまちにひしげなんとす(押しつぶされそうになる)。走り出(い)づれば、地割れ裂く。羽なければ、空をも飛ぶべからず。竜ならばや、雲にも乗らん。恐れの中に恐るべかりけるは、ただ地震なりけりとこそ覚え侍(はべ)りしか。」, いかがでしょうか。900年以上も前の地震の様子が、ありありと目に浮かんできます。方丈記には他にもいくつかの災害の記録が残されており、しかもすぐに読めるほどの文量です。読書の速い方ならば1時間もかからないでしょう。現代語訳も書かれた本が図書館に必ずありますので、ご一読いただければと思います。, 1317年の大地震は、強い揺れや余震が多く、群発地震とも考えられています。揺れに伴い、清水寺も出火したとされます。室町時代の1449年の大地震では、洛中に被害が大きく、死者も多数出ました。豊臣秀吉の時代に襲った1596年の慶長伏見地震は、震源断層が有馬・高槻構造線とされ、震源地により近い伏見で被害が大きく、伏見城は天守が崩壊。二の丸では女房(侍女)が300人余り、城下町では1000人余りの人びとが亡くなったとの記録も残ります。また、築年数の古い家屋が多かった下京で被害が多く、大阪から移転してきた本願寺の寺内町も、家屋の強度が低下していたのか無事な家は一軒もなかったと伝わります。方広寺の大仏も破損し、人びとはおろか自分の身さえも守れなかった大仏に向かって、秀吉は怒りのあまり矢を放ったと伝わります。, 江戸時代、1662年には寛文近江若狭地震が発生しました。震源域は琵琶湖の北西地域。巳刻(みのこく:午前9時~11時頃)に、若狭湾に面する日向(ひるが)断層が動き、午刻(うまのこく:午前11時~午後1時頃)に、花折(はなおれ)断層北部が動いた双子地震であったという説もあります。京都では、伏見や淀など、地盤が弱い地域で大きな被害が発生した他、八坂神社の石鳥居をはじめ多数の石灯籠も倒壊し、圧死者も出ました。, さらには、デマによる騒ぎも発生しました。浅井了意の「かなめいし」によれば、「豊国神社の周りは揺れなかった」とのデマによって参拝者が殺到し、境内に生えていた草や木を残らず持ち帰って、各々家の玄関に刺したのです。ただ、徳川の世においては豊国神社への参拝はよくないことで、役人が取り調べて懲罰を与えるとの話も広まったり、続く余震に効果がないことがすぐに知れて、人びとは採ってきたものを慌てて家の中にしまったということです。, 下御霊神社では、揺れに驚いて、とにかく何かにつかまろうとした子ども二人が、灯籠にしがみついてしまったところ、ほどなく灯籠が倒れ、たいへん無残に亡くなりました。他にも土蔵が崩れて妊婦が亡くなったり、八坂神社の高さ約9mもある石鳥居が崩れたり(鳥居は現存)と、現在の我々が知っている場所でも被害が出ています。地震の時には、灯籠や石鳥居、塀など不安定なものには、絶対に近づかないようにして下さい。, 1830年の京都大地震が、阪神淡路大震災を除けば京都市街地を襲った最後の大地震です。もう180年以上前のことですので、今京都に生きる人たちはほとんどが大きな地震を経験したことがなく、「京都に大地震が来ない」という気持にもなってしまうのでしょう。この地震では、京都各地で築地塀や町家が倒壊しました。1788年の天明の大火後、町家にも瓦屋根が普及したため屋根が重くなり、被害が大きくなったと考えられています。, 各地で詳細な被害状況が残されていて、研究書を読めば、もうありありと状況が想像できます。八坂神社や北野天満宮では石灯籠がことごとく倒れました。現在も神社の参道には数多くの石灯籠が立ち、もし天神市の日にあれが参道に倒れてきたらと思うとゾッとします。一条戻り橋では、橋のたもとにあった蕎麦屋が堀川に崩れ落ちて6名が亡くなりました。二条城や方広寺では大きな石垣が動き、耳塚に立つ石塔の上の部分も落下しました。この地震でも余震が長く続いています。, ここまで読んでいただいた方はお気づきかもしれませんが、京都の大地震には「余震が多い」「余震が数ヶ月と長く続く」という共通点があります。避難した人を精神的にも苦しめ、揺れが繰り返されることによる二次被害も心配されます。ただ、余震が長く続くということを知っているだけでも、心の準備はずいぶんと違うでしょう。「石灯篭が倒れやすい」というのも共通点です。今でも各地に石灯篭・石鳥居が立ち、観光客が巻き込まれてしまう可能性も大いにあります。, そして過去の京都の事例ではありませんが、条件が悪いと火災によってさらに被害が大きくなる可能性もあります。京都は太平洋戦争で壊滅的な空襲被害にあわなかったため、大都市でありながら古い木造家屋や社寺が数多く残っています。通りも狭く、地震の際は消火も行き届かないため、火災のリスクは大きいのです。天明の大火の際には、火は鴨川を越えたり、堀に囲まれている二条城の本丸さえも燃やしています。離れていても強風時の風下は危険で、避難をする際にも風向きには十分に注意をして下さい。関東大震災の時には、避難場所に猛火が襲い、数万人の単位で焼死者が出たという恐ろしい事実もあります。, 以上、長文をとめどなく書いてきましたが、何をお伝えしたいかと言えば「京都もいつ大地震に襲われても不思議ではない」ということです。そして、過去の出来事を詳しく知って頂くことで、できる限り同じことが繰り返されないようにと願ってやみません。近年は、地震に対する防災意識が高まって来ています。以前に比べれば、たいへんよいことです。いざという時に、少しでも多くの方が助かることに繋がればと願っています。, 気象予報士として10年以上。第5回京都検定にて回の最年少で1級に合格。これまでに訪れた京都の観光スポットは400カ所以上。2011年秋は京都の紅葉約250カ所、2012年春は京都の桜約200カ所を巡る。自らの足で見て回ったものを紹介し、歴史だけでなくその日の天気も解説する。特技はお箏の演奏。. 「中国地域の活断層の長期評価(第一版)」で評価対象となった活断層で発生する地震の予測震度分布(簡便法計算結果), 「四国地域の活断層の長期評価(第一版)」で評価対象となった活断層で発生する地震の予測震度分布(簡便法計算結果), 中央構造線断層帯(金剛山地東縁区間、和泉山脈南縁区間)での地震を想定した予測震度分布, 独立行政法人産業技術総合研究所 平成18年度 琵琶湖西岸断層帯の活動性および活動履歴調査(「基盤的調査観測対象断層帯の追加・補完調査」成果報告書 No.H18−5), 愛知県 平成9年度 岐阜−一宮断層帯及び養老−桑名−四日市断層帯に関する調査成果報告書, 独立行政法人産業技術総合研究所/東海大学 平成24年度 沿岸海域における活断層調査 布引山地東縁断層帯東部(海域部) 成果報告書, 独立行政法人産業技術総合研究所/学校法人東海大学 平成25年度 沿岸海域における活断層調査 三方・花折断層帯/三方断層帯(海域部) 成果報告書, 独立行政法人産業技術総合研究所 平成22年度 山田断層帯(主部)の活動性および活動履歴調査(「活断層の追加・補完調査」成果報告書 No.H22−4), 地震予知総合研究振興会 平成23年度 沿岸海域における活断層調査 山田断層帯/郷村断層帯(海域部) 成果報告書, 独立行政法人産業技術総合研究所 平成25年度「活断層の補完調査」成果報告書 奈良盆地東縁断層帯, 京都府 平成16年度 三峠・京都西山断層帯(京都大学桂キャンパス地区調査)に関する調査成果報告書, 独立行政法人産業技術総合研究所 平成21年度 三峠・京都西山断層帯(三峠断層)の活動性および活動履歴調査(「活断層の追加・補完調査」成果報告書 No.H21−4), 独立行政法人産業技術総合研究所 平成21年度 三峠・京都西山断層帯(上林川断層)の活動性および活動履歴調査(「活断層の追加・補完調査」成果報告書 No.H21−5), 和歌山県 平成10年度 中央構造線断層帯(和泉山地南縁−金剛山地東縁)に関する調査成果報告書, 愛媛県 平成10年度 中央構造線断層帯(愛媛北西部・石鎚山脈北縁)に関する調査成果報告書, 兵庫県 平成11年度 中央構造線断層帯(愛媛北西部・石鎚山脈北縁・讃岐山脈南縁)に関する調査成果報告書, 財団法人地域地盤環境研究所 平成19年度 中央構造線断層帯(和泉山脈南縁−金剛山地東縁)の活動性および活動履歴調査(「基盤的調査観測対象断層帯の追加・補完調査」成果報告書 No.H19−5), 独立行政法人産業技術総合研究所 平成19年度 山崎断層帯の活動性および活動履歴調査(「基盤的調査観測対象断層帯の追加・補完調査」成果報告書 No.H19−4), 三条から伏見の間で被害が最も大きく、死者、家屋倒壊多数。伏見城では、天守の大破などにより、圧死者約600人。, 北部で甚大な被害。死者2,898人、負傷者7,595人、住家全壊4,899棟、同焼失2,019棟。, (死者6,434人、行方不明3人、負傷者43,792人、住家全壊104,906棟。). また、京都府中部の綾部市付近では、1968年の地震(M5.6)により、住家半壊1棟など局所的に被害が生じました。.  府南部の18市町村は、南海トラフの地震で著しい地震災害が生じるおそれがあり、「南海トラフ地震防災対策推進地域」に指定されています。, 【 京都府周辺の主要活断層帯と海溝で起こる地震 】 これまで日本は、何度も地震の惨禍に見舞われてきました。その経験があったからこそ、地震に対する知恵や工夫も蓄積されてきました。復興して、元の生活を取り戻すためにもこの過去の惨事に目も背けることなく進み続けなければいけません。  長期間にわたり都であった京都は、歴史の資料が豊富な場所です。歴史の資料で知られている最も古い京都府の地震は、701年の地震(規模不明)です。この地震により若狭湾内の島が山頂のみを残して海中に没したとの記述がありますが、基となった歴史の資料は後世のものであり、信憑性は乏しいと考えられています。陸域で発生した地震で、京都府での確実な被害地震の記録は、M6.7以上と推定されている976年の地震からです。この地震では、京都府南部や滋賀県で死者50名以上などの被害が生じました。慶長伏見地震と呼ばれる1596年の地震(M7 1/2)では、被害は畿内に広く分布し、特に、京都では三条から伏見の間で被害が最も多く、伏見城天守が大破し、石垣が崩れて約600名の圧死者が生じました。最近の調査によって、この地震は有馬−高槻断層帯で発生した地震であると考えられています。その他に、827年(M6.5~7.0)、1830年(M6.5)などにも被害の記録がありますが、これらの地震がどの活断層に関係したものであったかは分かっていません。明治以降では、丹後半島を中心に甚大な被害を及ぼした1927年の北丹後地震(M7.3)が知られています。また、京都府中部の綾部市付近では、1968年の地震(M5.6)により、住家半壊1棟など局所的に被害が生じました。このような比較的規模の小さい地震でも、局所的に被害が生じたことがあります。 1830年 京都地震 地震の概要. 更新情報 2020年11月の「京都府の地震活動」を掲載しました。 ― pdf形式:585kb: 2021.01.14: お知らせ 気象情報等で引用する過去事例を更新し、大雪の過去事例を掲載しました。 2021.01.06 京都府を揺らした過去の大きな地震. 京都府 京都北区、京都中京区、京都下京区、京都右京区、京都伏見区、城陽市、向日市、長岡京市、京田辺市、南丹市、大山崎町、久御山町、京丹波町 大阪府 枚方市、寝屋川市、箕面市、交野市 兵庫県 加古川市、丹波篠山市、加東市 奈良県 山添村 気象庁による統計1923年以来2018年までに、京都府を襲った震度5以上の地震は「6回」起きています。 他の都道府県と比べると、京都府は大きな地震の回数がやや少ない地域といえます。 発生時刻:2020年12月17日 03時43分頃. この構造線を境に、県北部では活断層の分布密度が高く、過去の内陸地震の痕跡を多く残しています(下図)。 活断層が集中する県北部の奈良盆地には、京都盆地から南に延びる東部断層帯と、金剛山地東縁から中央構造線に続く南西部活断層があります。 資料12 大阪に被害をもたらした過去の主な地震 表 大阪に被害をもたらした過去の主な地震 ... 11 1596.9.5 文禄5.7.13 34.7 135.6 京都・畿内 7 京都・畿内 (伏見大地震) 大阪でも潰死者多く、堺で死者6 … 京都地震(きょうとじしん)は、1830年8月19日(文政13年7月2日)に発生した地震 。京都大地震とも文政京都地震とも呼ばれる直下型地震で、京都市街を中心に大きな被害を出した。 過去にあった京の大地震 花折、西山、黄檗、 京都盆地には三つの活断層。 「よもや京都に大地震はないだろう。 都が長く続いたのも京都に天災が少ないから」──京都人も、京都を外から眺める人々も、こんなふうに勘ちがいしそうになっていた。  また、京都府周辺に震源域のある海溝型地震はありませんが、上述のように、南海トラフで発生する地震で被害を受ける可能性もあります。 京都で家屋の倒壊多く、圧死者多数。津波が沿岸を 襲い溺死者多数、特に摂津で津波の被害が大きかっ た。南海トラフ沿いの巨大地震と思われる。 [死傷者]圧死者多 数、溺死者多数 ・理科年表 938天慶 1938/5/22 - 京都・紀伊 m7 35.0°n 135.8°e 京都で大地震が起きたとあまり聞かないのですが、過去に大地震が起きたことありますか? 地震 過去に特定の地方で大地震があった時に知恵袋にID非公開で「〇〇の地震、もっと激しくなればよかったのに」という投稿を見たことがあります。

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